島津四姉妹の次女で、「鬼島津」の異名で他国に恐れられている武将。
明るくさっぱりとしており男勝りな性格だが、肝心なところでは素直になれない一面がある。鬼島津の異名通り武勇にとても優れた人物で、島津家を武で支えている。しかし本人は鬼呼ばわりされる事をあまり嬉しく思っていないなど、女の子らしい一面も持っている。
CV:中家志穂 デザイナー:N島
島津貴久の次男で、島津義久の弟。
弘治三年(1557年)の蒲生城攻めの際、23歳の義弘は真っ先に攻め入って一騎打ちを制したり、自らの鎧の五ヶ所に矢を受けて重傷を負うほどの決死の勇戦を見せ、全国に名を轟かせた島津氏の武の象徴。
勇猛果敢ぶりが強調されているため容貌も強面だったようなイメージがあるが、現在、尚古集成館所蔵の肖像画や徳重神社に残っている木像によると、女性のような柔和な風貌である。また、義弘は主従分け隔てなく接し、兵卒と一緒になっていろりで暖をとったりするなどしていた。