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武将史実

 龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)は、戦国時代における肥前の大名。 “五州太守”の称号を好んで用い、肥前の熊ともいわれた。 大友氏、島津氏と九州の覇権を争った九州三強の一人。沖田畷の戦いで島津氏に敗れ、討死にした。普段から家臣に冷たく接していたため、沖田畷の戦いで敗色濃厚となったとき、隆信の輿を担ぐことに嫌気の差した側近たちは輿を放り捨てて逃げ、隆信は逃げ遅れて討ち取られたという逸話がある。 相当に肥満した人物で、馬に乗ることができなかったという。 沖田畷での敗戦は、龍造寺軍の将兵が泥田に足を取られて身動きできずにいたにも関わらず、隆信が無謀な攻撃命令を出したため、兵が自暴自棄になって敗れたという説もある。 島津軍に討ち取られた隆信の首級は後に龍造寺家へ返還されることになったが、返還を拒否されたといわれている。