武将史実
菅谷 勝貞は小田氏の重臣。菅谷政貞は子。智勇兼備の武将で、1516年に土浦城を攻撃し、信太範貞を置くが病死。信太氏に代わり城主となる。また、利根川・小貝川水系の水運にも大きな影響力を持ち、1519年には古河公方足利高基の要請を受けて上総国の足利義明とそれを支援する真里谷氏を討伐するために船を貸し出して自らも従軍している。譜代の家臣であった菅谷一族は、敵からも賞賛される優秀な将であった。上杉謙信や佐竹氏との戦いで幾度と無く敗れようとも、息子が討死しようとも、敵に降伏しようとも、変わらぬ忠誠で終生、小田氏を支えたと言う。