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史実を読む

武将史実

 戦国時代の武将。畿内・阿波の戦国大名。 織田信長と同じく堺の経済力に目をつけたり、朝廷との関係を重んじてたびたび連歌会を開くなど、豊かな教養人であった。しかし、信長と違って幕府を滅ぼして上に立つのではなく、その影となって実権を掌握するという点に、長慶の信長との違いを感じることができる。 歌会や茶会をたびたび行なって畿内の文化人と親密になるなど、文化人としても優れていた。弟の実休(義賢)もまた文化人として知られる。 文武の名将ではあるが、教養人の面のみをあげつらわれて非難されたことがあった。しかい本人は『歌連歌ぬるきものぞと言うものの梓弓矢も取りたるもなし』と見事な和歌で反論したという。