稲葉良通(一鉄は道号)。美濃三人衆のひとり。斎藤道三から斎藤氏3代に仕えたが、三人衆の他のふたり(安藤守就・氏家卜全)と共に織田信長に降り、信長の美濃侵攻の足がかりを作った。以後は信長に臣従、姉川の合戦では家康を援護し大功を立てた。他、信長の元で20年間に80以上の合戦に出陣、多くの功を挙げている(不敗だったとも言われる)。姉川の合戦での功を受けて、良通は信長に『一字を譲るから『長通』と名乗れ』と再三進められたが『あれは自分一人の手柄ではないから』と断り続けた。このことから、周囲の説得に応じずに持論を曲げない頑固者を称して『頑固一鉄』⇒『頑固一徹』というようになったとする説がある。学識も豊かだったとされ、特に漢詩に才を示した。一時、信長に謀叛の疑いをかけられたが、その才気と、常と変わらない振る舞いで嫌疑を解き、以後も信長に重用された。信長の死後は秀吉に仕え、天正16年(1588)天寿を全うして静かに息を引き取った。享年74。