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史実を読む

武将史実

 武家の家に生まれながらも、わずか6歳の時に祖父・能家が島村盛実らによって暗殺され、父の興家と共に故郷を逃れ放浪の身となる。父の死後、母の縁で浦上宗景に仕え、赤松氏との合戦で目覚しい軍功をあげ、翌年には知行300貫、足軽30人を与えられる。頭角を現した直家は浦上家内の邪魔な勢力を策謀で駆逐。その後、祖父の仇である島村盛実を暗殺し、浦上家の勢力拡大の中心的な役割を果たした。永禄9年には美作へ進出した備中の三村家親を暗殺、翌年の合戦により備中勢の駆逐にほぼ成功する。その後も、姻戚関係にあった金川城主松田元輝、元賢親子、さらに金光宗高などを没落させ、その所領を自己の知行とするなど勢力を拡大し、浦上家で随一の実力者となった。直家が主君の浦上宗景をも凌ぐ実力者になったことで、次第に主従は対立。直家は毛利元就と和議を結び、天正3年に宗景を敗走させ、宇喜多家は備前全土を有する戦国大名となった。