伊勢北畠家8代当主。 幼少の頃より文武両面の教育を施され、順風満帆に人生を歩んで家督を相続したとされる。その後、伊勢国の安定と版図の拡大を図り長野氏と長く争うが、長野氏に嫡男がいなかったことから自らの次男を養子に出して長野氏と和睦、麾下に加えることに成功。その後も順調に版図を広げる。 永禄6年(1563年)、嫡男に家督を譲り隠居するが実権は手放さず、領内に侵攻してきた織田信長と争うが抗しきれずに降伏した。 しかし、隠居していながら強い影響力を持った具教に脅威を覚えた信長は、信雄に命じて暗殺を実行した。 この時、刀を抜く間もなく討たれたという説の他に、逆臣に囲まれた具教は彼らと斬り結び、19人までは斬り捨てたがついに討たれたという説がある。こちらが事実ならその最後は、同じく塚原卜伝に師事し『一の太刀』を伝授された足利義輝と重なると言える。