阿蘇惟豊(あそ これとよ)は、戦国時代の阿蘇氏の18代当主、阿蘇神社大宮司。甲斐親宣・親直(宗運)父子の補佐を受け、阿蘇氏の最盛期を築いた。阿蘇五ヶ所衆の一人。肥後国守護の菊池家を乗っ取った兄・惟長(菊池武経)に家督を譲られ、当主となる。しかし数年後、阿蘇氏当主への復帰をもくろんだ惟長の攻撃を受け、日向へ逃れるも、高千穂鞍岡の国人・甲斐親宣の支援を受け、1517年に阿蘇氏の本拠地・矢部を奪還する。朝廷に御所修理料として一万疋を献納し、後奈良天皇から従二位に叙せられた。後奈良天皇宸筆の「般若心経」を受納し、阿蘇上宮に社納したという永禄(えいろく)2年11月7日死去。67歳。