若くして孫策に仕え、その死後は孫権に仕えた呉の武将。赤壁の戦いをはじめとして数多くの戦に参加し、その武勇をもって数多の功績をあげた。ただ、教養に乏しく、その点に関して、主君である孫権から武勇だけで優れた将になれないと諭され、努力の結果学識を備え、大都督まで上り詰めた。