後漢末期の新興宗教「太平道」の信者、いわゆる黄巾党を率いた指導者の一人。兄は張角。弟は張梁。張角は天公将軍、張梁は人公将軍、張宝は地公将軍と称していた。張角の挙兵でおこった「黄巾の乱」を張梁と共に補佐した。張角が病の身であったため、実質的には張宝が指揮を執っていたといわれている。その後、張角の死により求心力が弱まった賊軍において、籠城時に仲間に裏切られて刺殺された。