漢中に割拠した五斗米道の教祖張魯が治めていた漢寧では街道が各所に敷かれ、休憩所や食堂も造られた。また、信者から得ていた税や寄進などによる五斗の米も、自身の快楽に使うことは殆ど無く、扶助関係に費やしていたと言われている。張魯は漢中で、当時としては珍しいほどの善政を敷いていたらしい。