曹操軍きっての猛将で、夏侯惇の従弟。旗揚げから曹操を支え、戦場では常に主力を務めた勇将。定軍山で蜀の黄忠に殺された時、曹操は泣き叫んでその死を悔やんだほど、信頼されていた。軍の拠点間の迅速な移動やそれにもとづいた奇襲攻撃、前線型武将の指揮、兵糧監督などの後方支援を得意とし、その迅速な行軍は「三日で五百里、六日で千里」と称えられた。